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大石内蔵助 家系図

大石内蔵助(大石良雄)家系・子供


父:大石良昭

妻:理玖(りく)(現豊岡市出身。豊岡京極家の家老・石束宇右衛門(毎公)の娘)

子供
長男:主税(切腹させられる)
次男:吉之進(19歳で死去)
三男:大三郎

※妻:理玖(りく)は豊岡京極家の家老・石束宇右衛門(毎公)と、佐々成政の子孫・快楽院の長女として生まれた

※三男:大三郎(妻・理玖や子らは罪が連座しないように絶縁されて山科から豊岡に戻された。この時りくが妊娠しており、豊岡で出産することになる。そして生まれたのがこの大三郎であった。赤穂の浪士たちの行為は人々に感銘を与え、理玖や大三郎が有名になると赤穂浅野家の本家にあたる広島から仕官の話が舞い込む。大三郎は父・良雄(内蔵助)と同じ1500石という破格の条件で召抱えられ、理玖と一緒に広島へ移った)


略歴・経歴(プロフィール)
■大石良雄(おおいし・よしお)

■一般的には大石内蔵助(おおいし・くらのすけ)の名で広く知られる

■江戸時代前期の武士

■播磨国赤穂藩の筆頭家老

■赤穂事件で名を上げ、これを題材とした人形浄瑠璃・歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』で有名になった

■血液型

■身長:157cm程度だと言う

■頭蓋骨の調査でこめかみの筋肉と下顎が発達していたことから庶民的な顔つきだったようである

■大石内蔵助語録
http://bit.ly/yUIki8

■生年月日:万治2年(1659年)

■没:元禄16年2月4日(1703年3月20日)

■山鹿素行に軍学、伊藤仁斎に儒学を学ぶ

■元禄15年(1702)47人の同志と吉良邸に討ち入り、主君浅野長矩の讎を復した。元禄16年(1703)歿、45才

■赤穂浪士終焉の地
・水野監物邸跡 - 東京都港区芝五丁目
・大石主税良金ら十士切腹の地 - 東京都港区三田二丁目
・大石良雄外十六人忠烈の跡 - 東京都港区高輪一丁目
・長門長府城主毛利甲斐守網元麻布上屋敷跡 - 東京都港区六本木六丁目
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